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当たり前な常識と人見知りなコミュ障


珍しくPSO2以外をお題にしようかと。テーマはノットイコール「≠」

というか暇なだけです(ぇ


タイトルを見ると分かるように今回の比較は当たり前と常識、人見知りとコミュ障となります。所詮比較と言っても言葉のあやでしかないのですけどね。

何をもって当たり前とし、何を基準に常識とするのか。そんなことをふと考えてしまったのがつい一昨日。混雑した歩道を3列横隊する若者たち。いらいらするよね(´・ω・)

こいつらには常識がないのか、と思ってしまったが運のつきというやつでして。まぁそっから考察を考えてたわけですけど。まぁ結論に至るはずもなく(´・ω・)


まぁたとえば交通ルールを常識もしくは当たり前としたときにどうなるのか。

とすると、常識というのは知ってて当然という意味になり、当たり前は出来て当然、という意味になるわけですね。そうなるとやはり常識≠当たり前なわけで

しかし完全に≠とは言い難いところがありますけどね~ 言葉ですから。その一言に尽きます。ただ当たり前の方が重要度はありそうですが、個人や集団で差のつくところ。常識は重要度は低めだけど普遍性というものがあったり。


要するに信号の意味をしっててもそれを無視する人がいるというただそういうことです。

そこに法という絶対存在とか考え始めるとこの議論は延々とだら~と続きます。まぁ個人的には法の上に人は立つべきとそう言いたいですが。兎にも角にもとりあえず三列横隊にいらいらした。そんな話でした( ´ω`)


もう一つ人見知りとコミュ障。これは今日のバイトでの出来事。常日頃思ってたんですが、店員の対応に対してリアクション低い…なんて思ってたのが運のつき。たとえば袋使いますかって質問にうんともすんともいわず。そのままシールだけ置いとけば、袋入れてよ、なんて始末。これ私が悪いのかねぇ…なんて思ってしまう儚さ(´・ω・)

むしろクレーム魔みたいな人の方がよほど親切だぜーなんて上と比べるとおもいます。いやもちろん一番いいのはちゃんと受け答えしてくれる人なんですが(´・ω・`)


あとレジに電話しながら立ったり、イヤホンしながら来たりするのはめっちゃ腹立ちます。一アルバイトとしてちょっと忠告気味にいっておきます。

話がそれた_(:3」「)_

店員に対して小声で話すことははたして人見知りなのか?ということです、言いたいことは。

直観的にいうと、そっちの方が実はコミュ障なのではないかと思いました。

コミュ障とか自分の中ではボキャ貧とか口下手とか舌たらずとかそういうものだとおもってました。その区分で言うと自分はコミュ障←

しかしなんか違うと。そう思った次第です。飲み会とかでしゃべらないから、話が下手だからお前コミュ障だとか、そういうよくあるネタを取り上げていうならその名の通りコミュニケーションを取ってるからコミュ障ではない気もします。現にコミュ障といった目の前の君と話しているじゃないか。字づらをみればそうなります。

人見知りにもさまざまな類があるわけですし(多くて書ききれないw)単純に人見知り=コミュ障とはいってもいけないような気もしますね。

つまりレジで店員に相槌出来ないのがコミュ障なんです、そういいたいのですが。なにぶん裏付けがない(ぇしいて言うならば、やはり字面をとるしかないのかなぁ…

これを読んでなんという偏見なんだって思う人が過半数なきがしますw まぁこういうことを思うということは逆にコミュ障=人見知り、当たり前=常識と考えることもよくあるということ。

まぁつまらないことにいらいらするのではなく、最近はそのいらいらをこうして転換させたりします。まぁめったにないけどね(´・ω・)

いやぁなんともつまらないブログになった…w 文字だらけのブログなど誰も読まない気が… なんか一枚だけでもpso20121218_011028_001.jpg

エルダー様とラッピーの図。エルダーで思い出したけど腕破壊が「当たり前」なんてなることは少し避けたい気がしますね。当たり前は常識を覆してしまう恐ろしさをお持ちですし。その当たり前に左右されてしまう自分がいてしまったら少し危ない気もします。やわらかく、やわらかく。

ではここらへんで終わろうかな。全クラスのスキル振り目処がたったのでN、Hにこもることもあるかも。NPCさんとかクラス解放の方とかぜひ声かけてほしいです(・∀・)ではでは(´・ω・)ノ
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歌と日本語とネット弊害



というわけで某ラノベみたいなタイトルですが、通常運行?の時はこういう感じで適度なタイトルをつけていきたいと思います。


というわけで歌から。


最近久しぶりにランキング上位のボーカロイド曲を聞いてきました。タイトルは「脳漿炸裂ガール」、今はやりにはやっている曲です。ぜひ一度聞いてみては?聞かれた方はもう一度聞いてみてくださいw


この曲の特徴、極度の中毒性のある歌詞とメロディ、それだとおもいます。ほかにもあるでしょうが、特に自分にはそれが目立ちましたと言っておきましょう。最近のボカロ曲のはやりジャンルとでも言っていい感じですね。


まぁそれはよいとして。


コメントが少し不吉。というか嫌な感じ。解釈厨、歌える厨とかがちょっと多めな感じ。少し残念でした。


最近見るbotツイートにはこんなことも




ボカロpが作る→歌い手が歌う→信者盛り上がる→批判厨沸く→信者反論

簡略して書いてますがまぁ内容はこんな感じ。あまりにも的を射ていたのでぐぅの音も出ず。まさしくこんな感じです。




個人的には、歌い手も原曲も全然おkなのですが、こうも荒れるとですね…さすがにいい気分じゃありません。


「歌」を楽しんでほしい。その一言に尽きます。歌うこと、歌うのを聞くこと、自分はそれが好きです。どっちがいいとか、こういう意味だとかそういうのはいらない。そんな気がします。


そうした批判の中には、たまに日本語の曖昧さによって生まれるのもありますね。日本語というのは非常にやっかいなものです(笑)

日本語というと、ある人に言われたことを思い出します。「愛って日本人には馴染まない言葉だよね」と。


その人は愛しているという言葉がどうしても日本語に合わないのではないか。そういうことを言っていました。なぜなら「アイ」というのは音読みだから、そこがその人に引っかかったようです。


音読みとは古来の中国から来ています。実はアイは音読み、しかも愛するは「愛」+「する」なわけで訓読みではない。そういうわけで日本の読み方でないというその字にその人を違和感を感じたのでした。


それをきいて最近自分が思ったのは「信じる」という言葉もあまり日本語として違和感を覚えるものだなぁと思いました。「信」とは本来「シン」と読み、信じるも一応訓読みではありますが、シンというのがそのままつかわれているからです。


まぁ単なる屁理屈ではあるのですがw しかし、「信じる」といわれてまったくその思いが伝わってこないような気がするのはじつはこういうことなのかもしれないと勝手に納得していたりします。


そういえば愛についての人は最終的に「愛してる」というよりも「好き」というほうがいいと言ってました。まあどうなのかは人それぞれでしょう。


こうした言葉の弊害はつきものですが、あらためて批判という点について考えると実はニコニコが荒れるのはネットだからではないか、そう思ったりしました。


やはり他人の感情も見えない空虚な文字と会話することはそうした弊害を生んでいる一つの原因ではないかと思ったのでありました。



文字だらけで全くまとまりのない文ですがw 一周間に一回以上はこういう回があると思います。見たアニメとか、本とかそういうのも書いたりしますよ(`・ω・)b

ではぷそってきますよ(´・ω・)ノシ
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