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歌と日本語とネット弊害



というわけで某ラノベみたいなタイトルですが、通常運行?の時はこういう感じで適度なタイトルをつけていきたいと思います。


というわけで歌から。


最近久しぶりにランキング上位のボーカロイド曲を聞いてきました。タイトルは「脳漿炸裂ガール」、今はやりにはやっている曲です。ぜひ一度聞いてみては?聞かれた方はもう一度聞いてみてくださいw


この曲の特徴、極度の中毒性のある歌詞とメロディ、それだとおもいます。ほかにもあるでしょうが、特に自分にはそれが目立ちましたと言っておきましょう。最近のボカロ曲のはやりジャンルとでも言っていい感じですね。


まぁそれはよいとして。


コメントが少し不吉。というか嫌な感じ。解釈厨、歌える厨とかがちょっと多めな感じ。少し残念でした。


最近見るbotツイートにはこんなことも




ボカロpが作る→歌い手が歌う→信者盛り上がる→批判厨沸く→信者反論

簡略して書いてますがまぁ内容はこんな感じ。あまりにも的を射ていたのでぐぅの音も出ず。まさしくこんな感じです。




個人的には、歌い手も原曲も全然おkなのですが、こうも荒れるとですね…さすがにいい気分じゃありません。


「歌」を楽しんでほしい。その一言に尽きます。歌うこと、歌うのを聞くこと、自分はそれが好きです。どっちがいいとか、こういう意味だとかそういうのはいらない。そんな気がします。


そうした批判の中には、たまに日本語の曖昧さによって生まれるのもありますね。日本語というのは非常にやっかいなものです(笑)

日本語というと、ある人に言われたことを思い出します。「愛って日本人には馴染まない言葉だよね」と。


その人は愛しているという言葉がどうしても日本語に合わないのではないか。そういうことを言っていました。なぜなら「アイ」というのは音読みだから、そこがその人に引っかかったようです。


音読みとは古来の中国から来ています。実はアイは音読み、しかも愛するは「愛」+「する」なわけで訓読みではない。そういうわけで日本の読み方でないというその字にその人を違和感を感じたのでした。


それをきいて最近自分が思ったのは「信じる」という言葉もあまり日本語として違和感を覚えるものだなぁと思いました。「信」とは本来「シン」と読み、信じるも一応訓読みではありますが、シンというのがそのままつかわれているからです。


まぁ単なる屁理屈ではあるのですがw しかし、「信じる」といわれてまったくその思いが伝わってこないような気がするのはじつはこういうことなのかもしれないと勝手に納得していたりします。


そういえば愛についての人は最終的に「愛してる」というよりも「好き」というほうがいいと言ってました。まあどうなのかは人それぞれでしょう。


こうした言葉の弊害はつきものですが、あらためて批判という点について考えると実はニコニコが荒れるのはネットだからではないか、そう思ったりしました。


やはり他人の感情も見えない空虚な文字と会話することはそうした弊害を生んでいる一つの原因ではないかと思ったのでありました。



文字だらけで全くまとまりのない文ですがw 一周間に一回以上はこういう回があると思います。見たアニメとか、本とかそういうのも書いたりしますよ(`・ω・)b

ではぷそってきますよ(´・ω・)ノシ
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